忘れた頃に実家の母から電話が来る。
「忘れた頃に」とは失礼な話だが、正確には「娘としての私」を私が忘れた頃にである。
実家では、次女が結婚し、私が結婚し、年の離れた三女が結婚した。
私の旦那は長男だったため、必然的に家は三女に任せる形となってしまった。
ずっと跡取りとして育てられた私が出ていくことは家族みんなの想定外だった。
特に父は私を「長女ではなく、長男として育てました。」なんて当時の小学校の担任に言うほど、厳しくも愛情と期待を込めて育ててくれていたため、その落胆ぶりといったらなかった。
当初は申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、子供を産み、育児と仕事に追われ、いつしかそんな気持ちも薄れていった。
今では自分が娘であることを忘れるくらい自分の事だけなのだから、なんて薄情な娘だろう。
親としては役割を果たしているつもりでも、娘としては欠陥だらけだ。
子育てが一段落したこの頃、つくづくそう感じるようになった。
母の声はいつも優しい声だ。
いつも私を母の娘だと思い出させてくれる。
いくつになっても安心する包み込むような声。
その声も心なしかだんだんと小さく、か細い声になってきたように感じる。
母からの着信履歴に気づきながらも、忙しがっていつも後回し。
何日かたって、思い出してかけてみると、「何だっけ?」と呑気ないつもの声が返ってくる。
大した用事もなかったのだと思う。
娘が元気でいるか、ただそれだけ確認する電話。
ありがたいことである。
こちらも呑気。
これは母譲りの性格。
「じゃあ、身体に気を付けてね。」と言って母はいつも電話を切る。
「身体に気を付けて」は私の言葉なのに、いつも先に母からもらう。
母親はそういうものなのか。
「いつまでもあると思うな親と金」
ふと、そんなことわざを思い出した。