今週のお題「お弁当」
私の父は若い頃、都内でタクシードライバーをしていた。その経験のせいか、運転には変な自信とこだわりがあった。
地元に帰り、結婚した父は子宝に恵まれ、私たち3姉妹が生まれた。子供と一緒の時間を過ごしたいと、大好きだった運転の仕事を辞めた。
そして、一年に一度、家族を車に乗せ、遠出をすることが父の楽しみとなった。
家族旅行は楽しかったが、実のところ、父の運転は荒かった。
「本当にタクシードライバーだったの?」と言いたくなるようなスピードの出し方や車線変更・・・家族から不満が続出することもあった。
本人に言わせると、危険な運転ではないらしいが、その自信が一番危険だと子供ながらに感じていた。
三半規管が弱かった私は大抵、車酔いをし、30分も乗れば、「あと、何分?」「あと何分?」と繰り返し尋ねたため、父にはそれが苦痛だったらしい。
大学生になり、私は帰省の度に特急を利用するようになった。
それまで、移動は父の車だった私は特急の楽しみを見つけた。
それは「ゆったりとした時間」と「駅弁」だった!!
最寄り駅から電車を乗り継ぎ、特急に乗って、地元へ帰る。
特急に乗っている時間は1時間半。
その距離は駅弁を食べきるのに丁度よい時間だった。
車内販売で駅弁が売られている。
そこで買わなくても、特急は途中の駅で停車し、停車中に駅弁を買ってまた座席に戻り、駅弁を食べる、そんなことも可能だった。
学生でお金がないので、毎回ではないが、それでも、「駅弁」は帰省時の楽しみとなった。
ゆっくりと車窓からの景色を眺めながら(ほとんど駅弁の鶏肉しか見ていなかったが)、ピクニック気分を味わっていた。
今でも駅弁を買うし、食べもするが、あの頃のようなドキドキ、ワクワクした感覚はない。
そもそも特急しかなかった頃と違って、新幹線ではあっという間に着いてしまい、駅弁を食べる時間もなくなった。
したがって途中下車し、駅弁を慌てて買うこともない。
時間をお金で買う時代。
それは時折、ちょっとした寂しさを感じることもある。
ふと思う。
あの頃、時間をかけてやっていたことが今は短時間で終わる。
家事も仕事も便利なものがたくさん溢れている。
時短できるものに囲まれ生活しているのに、以前より忙しさが増していると感じるのは何故だろう?
時間の流れは一緒なのに、感じ方は倍速になっている。
朝起きるて、気づくと夜。
月曜日、一週間が始まったかと思うともう週末。
先日、旦那が日曜日の大河ドラマ「光る君へ」を見ているのを目にして本当に驚いてしまった。つい2、3日前に見たような気がしていたからだ。
その間の空白の時間に私は本当にここに存在していたのだろうか、とさえ感じる。
「駅弁」を頬張って喜んでいた子供の頃は、お弁当の味も今より断然、美味しく感じた。
ゆっくりとした時間に包まれいて、落ち着いていて、目に映るもの全てに好奇心を持って、ワクワクしていたからだと思う。
ああ、またいつかゆっくり旅がしたい。「駅弁」を食べながら、ゆったりと。
駅弁はやっぱり鶏肉の甘辛煮がいいな。