18歳の長男は4月からうちの会社で働いている。
家族経営の延長のような小さな会社で、彼はバイトをしている。
彼を正式に社員にするかどうか、正直迷った。
多分、続かない。
他の社員と同じようにはできない。
体力的にも精神的にも一度崩してしまった心と身体はなかなか元には戻ってくれない。
それは彼も認識していた。
長く人といると疲れてしまうと。
長時間の労働にも耐えられないと。
そして、その疲れは不眠症へと続いてしまう。
気負っても仕方ないから今年はお試しでバイトにしようということになった。
仕事を始めて、彼は一時期、生き生きとしていた。
グルグル悪い方へと考えてしまう負の連鎖が起こりにくくなり、こだわりも減った。
こだわりが減ったことで、彼は気持ちの縛りがなくなり、楽になったと言っていた。
でも、いつからかまた「疲れた」という言葉をよく聞くようになった。
家族経営は忙しい時はみんなが忙しい。
そして、みんなが余裕なく、ピリピリしている。
彼はその空気を他の人よりも感じとってしまう。
いくら私が取り繕っても。
彼の「疲れた」は体ではなくメンタルだ。
徐々に、彼は一緒に働く父親の言動が気になり、いつもビクビクするようになった。
現在、長男は休養中である。
父親から少し離れることを決め、隣の祖母宅で寝泊まりしている。
今、彼を救ってくれているのが弟の存在だ。
数年前、彼は弟とも距離をとっていた時期があった。
まだ幼い弟は理屈が通らないこともあったし、感情をむき出しにする事もあった。外からの刺激に敏感だった長男はそういった自分の感情を乱すものから自分を遠ざけていた。
現在、弟は10歳になった。
どこかクールで、でもちょっと抜けていて、見ているだけで飽きない可愛い弟。
弟は今、兄の心配をしている。
時に兄のような弟。
そして、時に弟のような兄。
いつか二人がそれぞれの道を歩んでも、お互いに支えあえる存在であってほしいと願う。
父親と少し離れてみると随分気が楽になったようで、よく眠れている。
眠れるかどうかは、心の健康のバロメーターだと思う。
休んだら勝手に動き出す。
じっとしていられない性格だから。
逆に人からせかされると動けなくなる。
だから、母はゆっくり待つ。
心配する祖父母にも伝える。
「大丈夫です。そっとしておいたら、そのうち復活します。」と。
待ちながら思う。
先を考えると不安しかない。過去を振り返ると後悔しかない。
だから、私自身は、今を見て目の前のことを一つ一つこなしていく。
走ったり、止まったりする長男。
もう少し自分のペースで歩けばいいのに、と思うけれど、その「丁度いい」ができない。だから走って、走って、疲れると止まる。しばらく止まったままエネルギーを蓄える。
「きっと大丈夫。」
信じて待つ。