hanasakuchildのブログ

おとぼけママのハッピーブログ

忙しい日々の中、新学期の準備に慌てる母

この頃の私は、朝、8時に出勤して、14時に30分間のお昼休憩を取り、18時まで仕事・・・とまあ忙しい日々である。

一年のうちで3月から9月までの7ヶ月間が一番忙しい。

休みもほぼない。

従業員は休ませないといけないが私は休日も休憩もあってないようなもの。

自営業とはそういうものなのだろうか?

 

とにかくこの期間、家のことが疎かになってしまう。

頭も全然働かなくなる。

そこで、次男さんの春休みの宿題のこともすっかり忘れてしまっていた。

春休みに入って3日ほどはすごく張り切ってやっていた次男さん。

難しい問題があると必ず声がかかるのに、今回は全然呼ばれず、自分の力でやっているようだった。

「あとは、国語だけになったよ。」と言う彼を褒めてあげて・・・それからどうしたんだっけ?

いつの間にか新学期の準備に一日学校へ出かけ、休みも残すところあと6日になってしまっていた。

 

朝、声をかける。

「宿題、大丈夫?」

「うん。あと国語だけだよ。」

 

夜、声をかける。

「宿題、大丈夫?」

「うん。あと国語だけだよ。」

 

何日この会話をしたのだろう?

「もう終わって良くない?!」

 

忘れている・・・絶対。

私の言葉は、BGMになっている。

返事も自動化されている。

多分、頭に入ってない。

絶対、次男さん、宿題終わった気でいる。

 

確信した私は、「今やりなさい!!」とお風呂の中から叫んだ。

私も疲れているせいか、元々の忘れん坊のせいか、歳のせいか、気づいた時に言わないと忘れてしまうのだ。

 

お風呂から出ると次男さんは勉強していた。

半ば泣きそうな顔で、鉛筆を持って、眉間に皺を寄せている。

苦手な漢字がたっぷり残っていたのね。

そして、彼は言った。

「おかーさん、宿題残っていたの。たくさん!!すっかり忘れてた。」

・・・やっぱり。

 

忙しくてあまり声をかけてあげられず、ごめんね(いや、声はかけていたような)。

そして、私の声、BGMになっていたのね、やっぱり。

 

と言うことで、スイッチの入った彼はちゃんと宿題を終わらせて、新学期を迎えられそうで安心した。

 

ところで、母も新学期の準備してないことに気づいた・・・。

 

運動着が小くなってきていたから買っておかなくちゃ。

靴も洗わなくちゃ、って今頃?!

 

「忙しい」を理由にせず、やるべき事をやりましょう、母。

 

 

 

小言はもう言わない宣言

高校の卒業式

朝から緊張気味の長男。

会場までの道を間違えないかと心配で早めに出たが、受付の20分前に到着し、「早すぎる!!」と駐車場でバトルとなった。

 

「遅れるより早い方がいいよ。」

そんな私の言葉は耳に入らず、「早く着くと待っている時間が辛いんだよ。」と長男。

「道が混んでるかもしれなかったし・・・。」

と続けたが、怒っている彼には届かない。

会話がかみ合わない状態が続き、私はいつものように口をつぐんだ。

そうすると、面白くない長男が自分の主張を捲し立てる。

いつものパターンだ。

 

長男の緊張が伝わってくる。

待つ時間が辛いのも分かる。

 

誰もがそうであるように余裕のない時は自分の意見が正しいと思うし、「人がどうしてそう思うのか」とか「そんな考えがあるのか」なんて想像できない。

 

しばらくしてから私は言った。

「今日から小言はもう言わない。」

「大人として接する!!」

 

・・・言ってしまった。

そんな宣言してもいいのか?

まだ18歳だよ。

 

でも、その一言で長男の口は閉じられた。

時々、私のワードが彼にヒットするときがある。

前言撤回とも言えず、その件はそっとしておくことにした。

 

卒業生からの歌の披露などもあり、卒業式は和やかに進んだ。

 

ふと、中学の卒業式が思い出された。

どうしても参加できなかった長男は校長室で個別に校長先生から卒業証書を頂いた。

担任の先生や教頭先生の配慮だった。

それが、高校ではちゃんとみんなの前で受け取っている。

そんな長男が眩しく見えた。

 

式の後、いつも話していた子やお世話になった先生達と写真を撮ったりして上機嫌となった長男。

「普通の高校とは違って、毎日会う訳じゃないからそんなに仲良くなれない」と言っていた彼だが、それなりにコミュニティーが出来ていたのだと嬉しかった。

 

少し名残惜しい気持ちで帰宅した。

 

高校を卒業し、進学はしないと決めた長男。

自分でうちの会社で働くことを決め、友達より少し早い社会人となる。

また勉強したくなったらいつでもできる。

今は彼の進みたい道を成長と共に見守りたい。

そして、彼のためにもこの小さな会社を守らねばと決心した私である。

 

帰宅後、彼が脱いだスーツやワイシャツの行方が気になり、小言を言いそうになってハッとした私。

というか、記憶すらない状態でいつも小言が出ている事に気づいた。

忘れん坊ママであるが、さすがに舌の根も乾かぬうちに言い出すとは、我ながら驚く。

幸いにも気づかなかった長男。

 

「小言はもう言わない」・・・努力はしようと思う。

でも、大人として接するって、一体どうしたらいいんだ?

 

 

18歳の旅立ちに想いをはせる

久しぶりにカラッと晴れて気持ちのいい天気。

今日、高三の長男は中学の同級会へ出かけた。

 

彼は中学1年の終わりから体調を崩し、休む事が多かった。それなのに、黒歴史にならず、みんなに会いに行かれるのは、当時の担任の先生と変わらず優しかったクラスメイトのおかげだと思う。

 

「給食だけでもおいで」と先生は誘ってくれた。クラスに入りにくいと言った長男の為に仲の良い友人を連れて家まで迎えに来てくれた。学校から家までは車で2分の距離。それでも毎回となれば大変だったに違いない。

 

先生は家にも頻回に顔を見に来てくれて、いつも大量の漫画を貸してくれた。

漫画に集中する事で少しずつ元気を取り戻した長男。

先生には感謝してもしきれない。

 

もうすぐ高校の卒業式。

正直なところ、高校も最後まで通えるか心配したが、そちらも高校の先生が親身になってくれて、3年間無理なく過ごせた。

 

長男はよく「僕は恵まれている」と言う。

大変な時期を乗り越えながらも、そういう心境になれたのは、彼の周りに沢山の温かい人達がいたからだと思う。

 

先生やクラスメイトとはある時期だけ一緒に過ごすだけかもしれないが、実はその先も何かある度に良くも悪くも思い出す存在だと思う。

会いたいとか自分の成長をみてもらいたいと思える人に出会えたことは長男の財産になっている。その出会いを大切にして欲しいと思う。

 

自分だけでは生きられない。時には誰かの力を借りて、生きていく。

それでもいいのだと思えるようになれば、少し気持ちが楽になる。

そして、いつか自分の存在も誰かの力になれたとしたら、最高だと思う。

 

彼が同級会で話に花を咲かせている間、私も彼の同級生のママと立ち話をしていた。当時、私もまた同級生のお母さん達に救われていた。辛すぎて話ができない時もあったが、無理に色々聞き出すことはせず、さりげなく心配してくれていた。

 

子供を通して自分の世界が広がったことに、またそのつながりによって救われたことに今は感謝しかない。

 

 

 

 

 

漫画に救われた子供たち

我が家では会話の中に結構な頻度で鳥山明先生が出てきていた。

体調を崩していた長男を救ってくれたのは『ドラゴンボール』だったし、兄に勧められて初めて次男がハマった漫画も『ドラゴンボール』だった。

二人とも『Dr.スランプアラレちゃん』まで見ているのだから世代を越えて愛される漫画を生み出せる先生はすごい。

 

我が家では神様のような存在の鳥山先生。

 

鳥山先生の訃報にショックを受けているだろうと予想しながら家に帰ると、やはり相当のショックを受けていた。

「先生がいなくなっても先生の作品は残っているんだよ。先生の漫画をこれからも大切にしよう。」

そんな言葉しかかけられなかった。

 

次男はいつも言う。

「お母さんは120歳まで生きてね」と。

以前、私が「人間の最高年齢は120歳だよ」と言ったからだ。

(122歳まで生きたフランスの女性が最高年齢だったらしい)

 

人はいつか死んでしまう。

そこに向かって生きていると言ってもいい。

だからこそ今を子供達と一緒に楽しんで生きようと思う。

(後2年もすれば思春期に入り、距離を置かれるかもしれないし。)

 

120歳までは無理だけれど、出来るだけ健康でいられるように、この頃サボっていたウォーキングを再開することを心に誓った(忘れん坊は母も同じなのでいつまで続くか分からないが)。

 

鳥山明先生、子供たちに(親の世代も含め)たくさんの希望をありがとうございました。次男は今日また大好きな「ドラゴンボール」を一人でこっそり読んでいました。

 

 

 

 

この口閉じよ!

この頃の私はいつもピリピリしている。

断言できる。

まるで雷鼓を背負った雷のようだ。

 

私は小さい頃からあまり怒らない子だった。

クラスの中で誕生日が早かったこともあってか、自分で言うのもなんだが、少し大人びた存在だった。

大抵の出来事も、大抵の人も受け入れられた。

 

それが結婚したとたんに私は自分の心の狭さ?に気づく。

心の狭さというよりここから先は無理といった限界に気づく。

旦那だけは私の理解を超える人物だった。

 

これまでも小爆発は何度かあった。

爆発後、彼は少し変わる。

しかし、1日、いやいや半日たてばまた元通り。

それの繰り返しだった。

要するに怒られたからやる、ただそれだけなのだ。

結果として怒られなければやらない。

その必要性がないと考えている。

子供のことに関しても、大事な話をしようとするとすぐに逃げる。

 

彼は共感とか共有とか「共に」と言う事が難しいことが分かった。

 

理屈で考えようとした時期もあった。

男性の脳と女性の脳は違う構造だからとか。

育った環境が違うのだからとか。

でも、いつからか、その努力も必要なくなった。

これが彼の中での精一杯なのだと彼を理解したからだ(それ以上の落とし所が見つからなかった)。

 

それが、ここ最近は、彼のちょっとした事でピキッとなり、一言、二言…三言。

この感情はおかしい。

しかも彼にだけ向かっている。

2か月くらい前までは仲の良い夫婦かも?なんて思っていたのだから不思議だ。

 

ふと、この感情の原因を考えてみた。

 

思い当たるのは2か月前、久しぶりに私は体調を崩し、2日程寝込んだ。

私はたいして健康に気を付けているわけではないが、風邪をほとんど引かない。

それが久しぶりのダウン。

 

旦那がご飯を近くのコンビニで買って来てくれたのだが、翌々日、起きてリビングに行くと凄まじい光景が広がっていた。

 

飲んだビールはリビングのテーブルに。

食べたお弁当はダイニングのテーブルに。

脱いだ服は散らかり、使った食器は洗われる事なく、2日分がそのまま置かれていたのだ。

「片付ける人がダウンしているんだから代わりに誰かやろうよ!」

と私は叫んだ。

男性群は誰一人として答えず、私の独り言になった。

その光景はまるで私のお仕事と言わんばかりにそこに広がっていた。

 

そこで私は気づいた。

子供の教育もさることながら旦那の教育も怠ってきたということに。

言い続けることに疲れ、「まあ、私がやればいいか」と概ね私が担ってきた家事と子育て。

 

人生の半分以上を生きてきて、今後どうなるか分からない。

もし、私が倒れたりしたらどうするのだろう。

 

そんな焦りと怒りが複雑に絡み合い、イライラが起こっているのではないかと分析してみた。

 

そしてこの突如として現れた怒りの感情は、更年期のせいでもあるかもしれない。

むりやり更年期のカテゴリーにぶち込んでしまったのだが、ネットで調べると、怒りっぽいとかイライラしたりは初期の認知症なんて、恐ろしいワードも出て来る。

 

とりあえず、食生活に気を付けて、夜はネットから離れよう、そしてしっかり睡眠をとろう、そんな結論に達した。

 

私の感情は私のものだ。

誰かに振り回されたくない。

ここまで来たら、この先も心豊かに過ごしたい。

健康第一。

 

いい加減、この口閉じよう!

 

『女子トーク』本の内容から発展!娘の未来の話へ

今日は男性群が3人で温泉へ出かけた。

彼らがそっくり3人いない日は珍しい。

温泉と言っても近場でちょっと温泉に入って牛乳を飲んで帰ってくるだけ。

それでもそんな時間は貴重だ。

 

折角なので、帰省中の長女とお茶を飲みながらの女子トークを楽しんだ。

今回のテーマは彼女が読んでいる本についてだった。

 

長女は小学校2年生から本に取り憑かれたように読書にハマっていた。

「楽しむ」というよりも、「取り憑かれたように」という表現が合っているくらいにどっぷりと本の世界にハマっていた彼女は図書館の常連となり、あらゆるジャンルの本を読み尽くした。

 

学校ではもちろん、家に帰ってからもずっと本を読み続けた彼女。

読み始めるとその世界の住人となってしまうため、こちらの声は届かず、私が家に帰ると、薄暗い中にいて何度も注意した記憶がある。

学校では休み時間がすべて読書に費やされるため、友達と遊ぶということもなく過ごしたようだ。

後からクラスメイトのお母さんに聞いた話では長女は「別格の女王」と呼ばれていたらしい。

 

そんな彼女だが、そこそこ勉強ができ、何事も卒なくこなしたため、6年生の時には児童会長に推薦された。

目立つことは好きでは無かったが、他の人がなかなか選出されなかった事と揉める事が面倒臭い等の理由で引き受けていた。

あの頃が彼女のしっかり者のピークだったように思う。今では、こちら側(おとぼけママとおとぼけ次男)に来ている彼女だ。この頃は忘れ物も多いらしい。

 

高校生の時はあまり本を読まなかったが、最近はまた読み始めたようだ。

そしてこの頃は自分の読んでいる本の内容を教えてくれたり、私が好きそうな本をチョイスしてくれる。

 

私も読書が大好きだったが、ある時本を読む事をやめた。

本の世界にハマり過ぎて家事が全然できなくなるからだ。

いつか時間ができたら読もうと思っていたのだが、今では老眼鏡とお友達になり、細かい字がめっきり苦手になってしまった。

 

そこで彼女は私に短編で読みやすい本を紹介してくれた。彼女が勧めてくれた本は「うつくしが丘の不幸の家」という本だった。

 

私が彼女に勧めてもらう本には条件がある。

・途中でやめられる本だけど、読み応えのある本

・読んだ後落ち込まない本

 

本でもドラマでも映画でもハッピーエンドかどうか聞いてしまう私に妹たちはいつも呆れて「それ聞いてどうするの?」と言う。

せっかく読んだり、見たりするならハッピーエンドがいい。

とそこは譲らない。

 

不幸の家は確かに一つ一つが小さな物語となっている。そしてそれが全体の物語となっている本であった。とても読みやくす、最後にはジーンと感動が残った。

さすが長女、母の好みを分かっている!!

 

そして今回の本は「傲慢と善良」というタイトル。

細かい字で書かれた解説まで入れて500ページ以上に及ぶその文庫本を見るとどうしても手が伸びないが、彼女が解説してくれるので、内容だけは知る事ができた。

要約すると婚活の話らしい(要約し過ぎか?)。

その本を途中まで読んだ彼女は自分の将来を考えたようだ。

 

彼氏はいない。

誰かとずっといると疲れるから今はいらない。

でも、将来、孤独死は嫌だ。

だから結婚はしたい。

これは高校時代から一貫して変わらない彼女の想いだ。

 

婚活の内容の書籍はこの頃多いと彼女は言う。

多くの人の関心事なのだろう。

 

「まずは恋してみたら?」

と思わず言ってしまったが、恋しようと思って恋ができるはずもない。

 

そんな話をしたら、

「今は恋しなくても楽しめる事がたくさんある。」

と返ってきた。

「デート代払うくらいなら推しにお金をかけたい」

彼女の友人も言っているらしい。

 

デジタルネイティブ世代の子供達。

昔より推しも近い存在。

推しに恋するっているものありなのかもしれない。

 

でも、結婚は現実。

 

本を通して改めて登場人物と自分を照らし合わせたようだった。

最近はあえて自分の興味からそれたものを選ぶこともあるという。

そこから色々な現状や想いを学んでいる。

 

ドアを開ける音と共に騒がしい兄弟の声が聞こえ、あっという間に楽しい女子トークの時間が終了した。

 

また次の機会に彼女の声に耳を傾けたい。

 

100歳の祖母に残されているもの


久しぶりに祖母に会いに行った。

今年101歳になる祖母は祖父が亡くなってから20年近くずっと一人暮らしをしている。

 

耳は大分遠くなったが、自分の身の回りの事は自分でやり、週2回は娘達が交代で様子を見に寄る。

 

ちょうど母が泊まりで祖母の家に行っていたので、私も子供達を連れて、久しぶりに祖母に会いに行った。

 

みんなでこたつを囲み、お茶を啜る。

 

孫は9人ひ孫は19人。

孫の名前までは覚えているが、さすがにひ孫は難しい。うちの子供達も数え切れないほど何度も会っているが、祖母に会う時は自己紹介から始まる。

 

祖母はいつも決まっていう。

「もういいわ。

十分。

いつも仏様にお願いしてる。

早く迎えに来てって。」

 

その横で母が言う。

「私は100歳までは生きたくないわー」

ガハハと笑いながら。

 

実の娘だから許されるのか。

祖母の耳に届いてないからいいのか。

そもそもその話題すら冗談になるのか。

 

「大丈夫、お母さんも100歳まで生きるよ、絶対!」

と太鼓判を押してあげた。

 

長く生きるって大変だ。

 

私が働き始めた頃、時々祖母の顔を見に寄ると大抵3、4人は近所の友達が遊びに来ていた。

それが、2人になり、1人になり、今はいない。

 

大切なものはどんどん失っていく。

祖父も友人も若さも。

 

でも、一つ祖母に残っているものがある。

気力だ。

 

もういいと言いながらも

ご飯は美味しく食べている。

お肉も大好き。

ちょっと痛いところがあったり具合わるいところがあれば、病院にかかる。

メンテナンスはバッチリだ。

そして、暖かくなってくると庭に出て草むしりが始まる。

(我が家の庭は祖母には絶対に見せられない。)

 

今年もまた春がやって来て祖母は頭に手拭いを巻き、外に出る。

 

また来るね。

 

私も祖母に会える楽しみがある。

そっとその幸せを噛みしめる。