hanasakuchildのブログ

おとぼけママのハッピーブログ

悩める年頃、18歳男子!!

いよいよ旅立ちの季節、3月はもうすぐそこに

息子の友達のほとんどは県外の大学へ進学する。

高齢化が進んでいる山間部のこの辺り。

毎年何人かは進学と共に東京周辺へ出ていく。

 

我が家の長男は進学しない事がだいぶ前から決まっていた。

 

勉強が嫌い。

学校へはもう行きたくない。

 

今は通信制高校のため、月に数回だけ学校へ行けば良かった。

これから毎日、大学や専門学校へ通学すること自体が難しいという理由も大きかった。

 

卒業後は、彼の希望によりうちの会社で働くことが決まっていた。

また、学びたくなったらいつでも学べばいい。

父ともそんな話になっているらしい。

 

心配性の彼はつい最近まで、

 

起きれないかも

働けないかも

続けられないかも

 

「かも」心配が続き、苦悩の毎日だったが、ようやくこの頃、気持ちが上がってきた。

 

自己肯定感とやらはありそうだが、自己効力感(やれそうな感覚)がメチャクチャ低めの彼は失敗の体験が残りやすく、それによってさらに自己効力感が下がるという負のスパイルに陥ってしまう。

 

「スモールステップ」我が家の合言葉だ。

 

スモールステップで行こう!!

そして少しずつ成功体験を増やしていくしかない。

 

悩めるお年頃18歳男子。

いつでも方向転換可能だし、いつでも学べるし、いつでもチャレンジできる。

とりあえずは、スモールステップでできることから始めよう!

 

 

 

 

ジャンケンで負けることは難しい?!


怖がりの次男は夜、2階に上がるのが怖いらしく、何かを取りに行かなければいけない時は私に頼んでくる。

家事をしていて手が離せない時は「自分で行っておいで!」というのだが、どうしても怖くて行かれない。

 

そういう時はいつもおもむろに「ジャンケン」を始める。

説明もなく始まるジャンケンには「負けたら、お母さんが取りに行ってね!」という意味が含まれている。

 

「じゃん けん・・・」

と言われたら、思わず手が出てしまうじゃないか。

 

彼は決まってパーを出すので、大抵私が勝つのだが、私が負けるのを期待している彼が時々健気に見え、負けてあげようと考える。

考えるのだが、咄嗟にチョキが出てしまうので仕方ない。

意外と負けるのも難しく、後出ししても何故か勝ってしまうのは何故だろうか。

人間の脳は勝つように仕組まれているのではないかとさえ感じる。

 

3回戦が5回戦になったあたりで、次男は言った。

「次は勝った人が取りに行くってことね!」

そうか、そう来たか。

次男よ、もう母が取りに行くという選択肢しかないのではないか。

 

案の定、全勝していた私が最後も勝利し、彼の代わりに2階へ必要なものを取りに行った。

 

こんなやり取りをしながら、次男は今日も元気に1日を終える。

 

 

次男の遊びに付き合う休日

今日は朝から腰が痛い。

一昨日、次男は急にキャッチボールしようと言い出した。

昨年は何度かやったが、この頃はめっきり外で遊ばなくなり、家で過ごすことが多くなっていた。

一年ごとに体が大きくなり、体力が付き、投球のコントロールもスピードも増す次男に比べ、年々体力が衰え、背が縮み、ボールのコントロールもスピードも落ちていく私。

身体は動かさないでいるとどんどん衰える。

先日も雪で滑り大転倒してしまった。

 

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子供の希望を無視するわけにもいかない。

やる気になって大人用のグローブを持ち出し、次男とキャッチボールをすることにした。

やってみるとまだまだ体は動けたし、ボールも取れた。

だが、次男の配慮もあったようで、時々は速い球が飛んできた。

次男は時々聞いてくる。

「まだ疲れていない?」

「まだ電池50%くらいはあるよ」

その電池が切れたのは30分後だった。コントロールがさらに悪化、ヨロヨロのへなちょこボールが続いた時、私の電池は0%になり、私の中で「ピーーー!!」という音が鳴り響いた。

 

もちろん次男は元気いっぱい。

その時、父がやっと起きてきて、漫画を読んでいる姿が見えた。

「お父さんと交代ね。」

ほぼ強引に父に交代。

そして父のタイマーも30分くらいたった時に音が鳴り響き、再び私の登場となった。

 

子供の体力は凄まじい。

特に好きな事だと湧き水のごとく、溢れ出てくる。

父も母も体力が低下してきているが、この交代方式で何とか次男の希望を叶えることが出来た。

それが2日続き、さらに昨日の夜は相撲もやりたいと言い出し、それにもお付き合いした。

 

10回と決めてあったが、取り直しとやらで(相撲ルールは分からないので言われるがままに)回数はいつの間にか増えていた。

 

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「お母さん、ありがとう!!」

当然の事なのにいつも「ありがとう」と言う次男。

満足そうな顔にいつもノックダウンの母。

そして、もう少し体力をつけようと心に決めた母だった。

 

学生時代に戻った夜


同級会があり、久々に旧友達と再会した。

8年ぶりの再開だった。

小学校からあるいは幼稚園時代からの付き合いのため、お互いに気心知れた仲。

暫くぶりに会った旧友達は顔やスタイルこそ変わったが、人柄はあの頃のまま変わらず、ただ時間だけがタイムスリップしたような感覚であった。

 

クラスでイケメンの彼は2年前に再婚していたし、いわゆるマドンナ的な彼女はあの頃と同様に綺麗でみんなの輪の中心にいた。

やんちゃばかりしていた彼は2人も孫がいて、デレーっとした顔で「孫は可愛いぞ」と言ってワイルドなおじいちゃんになっていた。

クラスで一際ひょうきん者だった彼はやっぱり三枚目を維持していて、時々突っ込んだり面白い話を振ったりしながら笑いを取っていた。

 

未婚の人、結婚している人、離婚した人。

子供がいる人、いない人。

地元にいる人、県外に住んでいる人。

みんないろんな人生を歩んでいる。

悩みも人それぞれだ。

 

一人だけ気になっていた人がいた。

前回の同級会の時に、彼は離婚した直後で体も壊し、精神的に参っていた。

彼は私のところに来て、「最近どう?」と話かけてくれた。

どうも、前回、私は私で自分の悩みを彼に話していたらしい。

彼は「心配していた」と言ってくれた。

「幸せそうでよかった。」と近況を報告し合い、お互いに安心しあった。

 

今回は4年間お世話になった先生も来てくださった。

あの時、先生はちょうど私たちの年だった。

昔のことだから、厳しくて、居眠りしているとチョークが飛んできた。

先生と痛みを分かち合おうと言って先生はゲンコツの代わりに頭突きをした(ほとんど男子だったが)。

椅子の上での正座もあったし、廊下で立たされることもあった。

教育現場で今は見なくなった光景。

だけど、子供たちひとりひとりに寄り添って、大切に向き合ってくれた先生。

その時一番怒られていた男子達がいつも同級会に参加して先生を取り囲んでいる。

そのことはどんな言葉以上に先生との関係性を象徴している。

 

先生の挨拶は辿々しく、少し弱々しくなったように感じた。

でも、みんなをずっと見守っているような表情だった。

先生は今でも私たちの先生だった。

4年間という長い時間を共に過ごした先生。

いつまでもお元気でいてほしい。

 

帰り際、おじいちゃんになっていた彼が言った。

「お前は優等生だったから何となく近寄れなかった。」

「え?全然だよ。私すっごいおとぼけだよ。」と放った私に後ろから

「お前は昔からとぼけてたよな!」と別の男子からのツッコミ。

…良くご存知で…。

 

この同級会、今回の幹事がずっと毎年やってくれることになった。彼は「俺が生きている限り、やるから!!」と言ってくれた。

「みんな段々に抜けていくと思うけれど」…なんて言わなくてもいい前置きもあったが、出られる時はまたみんなの顔を見に参加したいと思う。

 

月曜日の夜の大惨事!!

月曜日の夜、それは起きた。

会社を出て、駐車場に停めてある車まで行こうと建物の角を曲がったその瞬間、雪に滑り、大転倒!!

今晩のおかずは何にしようかな?なんて呑気に考えていて、雪が積んであることに気が付かなかったのだ。

あと1mもいけば自動で電灯がついたのに。

誰なの?!

ここに雪を積んだのは?!

・・・私か。

 

滑った瞬間、思わず左手が出たのだけれど、それだけでは自分の体重を支えきれず、右のおでこと頬をうっすらと雪の乗ったアスファルトに打ち付けた。

右手よ、なぜ出てくれなかった??

 

顔面を打ち付けた瞬間、目から本当に火花が飛び散った。

誰もいない駐車場であったが、私は恥ずかしさのあまり、飛び起き、何事もなかったかのように会社へ戻った。そして顔を流水で洗い流し、何度も何度も水を手ですくい、顔を冷やした。

 

以前、転んで顔を打った母や義母や祖母の顔を思い出す。

転倒直後から腫れ始め、内出血のために、翌日には四谷怪談に出てくるお岩さんのような顔に・・・(失礼なことを言ってごめんなさい!!)。

とにかく転倒して顔を打ち付けると、後がひどいことになってしまうのを何度か見ていたので、それだけは何としても避けたかった。

 

そしてふと頭によぎった今週末の小学校の同窓会のお誘い。

50歳という節目の歳のせいか今年は同級会ラッシュ。

もちろん参加希望を出していたのだ。

もし腫れてしまったら、会えない!!

 

家に帰って家族に心配されながら、私は冷やし続けた。

寝ている間も寒くて寒くて仕方が無かったけれど、時々、水をすくって顔を濡らし、濡れたタオルで夜通し冷やし続けた。

 

翌日・・・

冷やす事はなんて効果的なんだろう。

目尻の所に赤紫の点と頬に直径2cmの赤い円が薄らあったが、腫れは軽度であり、メガネとマスクで何とか出勤可能な状態となっていた。

 

子供には殴られたみたいになっていると言われたが、気にせず、メイクもする気になれず、そのまま出勤した。社員の二度見とガン見に気付かないふりをしつつ、1日を過ごした。

努力の成果もあってか土曜日の同級会には参加可能状態まで回復した私の顔面。

 

「痛い思いをしたんだもの、せめて話のネタにしなくちゃね。」

友人3人に転倒の様子を事細かく話した私だったが、若い頃とは違い、そこには同情が色濃くあった・・・。

 

 

バスを降りてからの自然観察

小学校のスクールバスが会社の前を通り過ぎていく。

100mくらい先にあるバス停で子供たちが数名降りるのが見えた。

あの中にうちの次男はいるだろうか?

 

いつもは会社の近くのバス停ではなく、その二つ先の家の近くのバス停で降りる次男。

「今日はおばあちゃん達が出掛けているから必ず会社の近くのバス停で降りてね!」と何度も念を押しておいた。

しかし、忘れん坊の彼は果たして降りたのだろうか・・・?

 

バスはちょうど会社の前を通り過ぎて行くので、次男が気づくように「ここで降りて!」とアピールするために、私は会社の前でバスを待っていた。

 

会社の前を通り過ぎたバスが近くのバス停で停まり、続々と子供たちが降りる。

子供たちは一列に並び、まっすぐ列になって道の端を歩いて来た。

中には、土手に飛び乗り、道に下り、また土手に飛び乗り、道に下りを繰り返している落ち着きのない子もいた。

 

「女子には理解できない無駄な動き、いやいや、不思議な行動をとる男子」

幼い頃から疑問であったが、男の子を二人育ててみて、それが男の子だと言うことがよくわかった。

しばらく遠くから観察していると、その一番落ち着きのない子が我が子だと気づいた。

 

2年生までは会社の近くでバスを降りていた次男。

バス停から会社までのたかだか100mくらいの道を30分以上もかけて帰ってくる。

心配になりバス停で待つことにした私はようやくその理由がわかった。

次男はバスを降りると、まず土手を登っていく。

道に沿って2m程高くなっているその土手を駆け上がるように登るとその先には一面の田園風景が広がっている。

そこはまさに次男の自然観察の場所であった。

 

田んぼに水が入ると、彼のテンションが上がる。

田んぼを覗き込む姿は何とも言えないくらい眩しく輝いていた。

おたまじゃくし、アメンボ、ゲンゴロウホウネンエビなどの生物が生命力たっぷりに生きている世界に魅せられ、次男はそこから動かなくなる。実際には田んぼの畦をグルグル回りながら、田んぼから動かなくなる。

 

4年生になった今は早く家に帰りたくて、会社の近くのバス停で降りなくなってしまった。家に帰るとマンガを読み始める。子供の興味は変わっていく。

その時、その時にしっかり興味あるものにハマりながら、その興味の幅を広げたり、掘り下げたりして育っていくのだと思うが、どこか少し淋しい気持ちもする。

自然観察は私によっても仕事の合間に子供と触れ合えるリフレッシュタイムだったのだと思う。

 

私に気づくと慌てて真っ直ぐ歩き出した次男。

「車道に出たら危ない。」と注意されることを察知したのだろう・・・。

 

 

参観日と書き初め

次男の参観日があって小学校へ行ってきた。

廊下に貼リ出されていた書き初め。

飛び出すかのように元気よく書かれた字や細く小さめのかわいい字。

それぞれに個性が現れた書き初めの展示の中に

次男の書き初めを見つけた。

 

ん?!

 

次男の書き初めの下に小さな紙が。

どこかに出展してもらったのだろう。

紙が貼られた作品は次男の他に4つあった。 

そのうちの2つの作品には入選という赤い判子が押されていた。

残念ながら、次男には入選という文字はなかったが、4枚に選ばれていたことに驚いてしまった。

 

苦労して仕上げた「書き初め」

年末年始の休みに入った日に早々と書き初めに取り組んだ次男。

出かける予定があったにも関わらず、予定の1時間前に急に思い立って書道道具を用意し始めた。

時間がないから無理だと言っても聞かない次男。

普段はこだわりの少ない彼だが、一度決めるとそれは絶対事項。

リビングの狭いスペースに無理やり新聞紙を広げ、書き始めたのだった。

 

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三者三様の我が子たち

長女は貰ってきた用紙を全部書いて、その中から一番よく書けたものを選ぶタイプ。

長男は最初から提出分の2枚を書いて提出するタイプ。

次男は・・・。

 

これが何故か失敗してしまうのだ。

とりあえず、間違えずに(上手に書くことは二の次)名前まで書けたものを出そう、ということになったのだが、最後の最後で「年」の字が上まで飛び出してしまったり、滲んで見えなくなったり・・・。

 

次男の隣で、手に汗を握り見守る私。

書き初めの応援は初めてだった。

 

「あ、もう少し上に」

「そこでさっき失敗した。気をつけて!」

「あと一文字!」

 

最後の一文字がちゃんと用紙の中に収まった時、私と次男は手を叩いて喜んだ。

 

「失敗しないで書けた一枚」が書き終わった時、次男は力尽きた。

結局2枚のうち一枚は「年」の字が上まで飛び出したものを提出することに決まった。

時間をおいて書くとか、違う日にもう一度書くとか、そんな選択肢はない次男。

とりあえず、何とか完成した作品だった。

それが選ばれていたと知り、嬉しくもあり、申し訳なくもあり、複雑な心境であったが、次男(と私の)努力の結晶である。しっかり写真に収めてきた。

 

うちに帰ると甘えん坊の末っ子に戻るが、学校では精一杯、時には背伸びもしながら、気を張っているのだと思う。

 

「今日いいことがあったよ」

帰ってくると、お話好きの次男のマシンガントークが炸裂する。

嬉しそうに話す姿が私の心をいつも癒してくれている。